新潟家庭裁判所長岡支部 昭和40年(少)446号 決定 1965年7月13日
少年 S・M(昭二二・五・二一生)
主文
少年を保護処分に付さない。
理由
本件送致事実の要旨は、
少年は昭和四〇年六月○○日午後八時二〇分頃および同月△△日午後八時頃の二回にわたり長岡市○○町○○神社境内で○橋○子(当一六年)と、同人が一八歳に満たないことを知りながら性交したものである。
というのであつて、右の事実は本件証拠によつて、すべて認めることができる。
ところで、新潟県青少年保護条例第九条第一項は「何人も青少年に対しみだらな性行為またはわいせつな行為をしてはならない。」と規定しているところ、右にいう「みだらな性行為」とはその用語自体必ずしも熟したものでないが、性行為とは一応、性交または性交類似の行為を指すものと解するとして、「みだらな」性行為なるものがどのようなものを指称するのか疑念の存するところである。
そしてここにいうみだらな性行為が一八歳未満の配偶者(法律上ならびに事実上の)との間の性交渉までも包含する趣旨でないことはもちろんであろうが、いわゆる性行為なるものの性質上、行為そのものの特定の方法、態様を指す趣旨とも考えられない。
そこで結局、本条例がこの規定を置くについて意図したところを考慮に入れつつ「みだらな」性行為の意義を確定することが必要であると思われるところ、青少年は心身が未成熟であつて殊に精神的に未だ十分な安定を得ていないこと、従つて反倫理的な行動経験による衝撃や影響を受けることが多く、またこれらからたやすく回復し得ないこと、などの点で成人に比してきわめて特徴的であるので、そのような青少年の情操を害するおそれのある行為から青少年を保護するのが、本条例の立法の目的とするところであると解せられる。してみると、反倫理的な行為の影響力から青少年の心身を防衛することに問題の重点があるのであるから「みだらな」性行為であるか否かも、行為の反倫理性もしくは反道徳性によつて定めなければならないと考えられるのである。
それではどのような行為を反倫理的、従つて「みだらな」ものと評価するかというのに、たとえば売春、対償を得ることがなくとも全く行きずりの者を相手方とする性交渉、あるいは多数人を相手方としまたはこれらを互いに相手方とする乱交、のような人格の結びつきを媒介としない性交渉をこれにあたるものと解するを相当とすべく、またそれで十分なのであつて、徒らに人格的な交流を前提とする性交渉にまで反倫理性および「みだらな」性行為の概念を拡張することは妥当でない。
そこで本件について考えてみるのに、証拠によれば少年と前示○橋○子とは昭和四〇年一月頃に知り合い、以後継続して交友をつづけ、互いに好意をもつているか少くとも仲の良い友人として互いに意思の疎通があつたものである。そうであれば、その程度の人格的な結びつきが存在している以上、その間に生じた性交渉は社会通念上反倫理的なものとして非難に価するとはいうことができず、少年らとしてはこのような性交渉を避けるのが賢明であつたとは言い得るとしても、本条例第九条にいわゆる「みだらな性行為」にはあたらないものといわなければならない。少年は当時偶々家出中であつたために補導されるに至つたものであるが、家出中であつたことは右の解釈に何ら消長をきたすものではない。
以上の次第であつて、本件送致事実は、その事実自体が罪とならないものであるので、少年を保護処分に付することができない。よつて、少年法第二三条第二項により、主文のとおり決定する。
(裁判官 宮本康昭)